みずほ銀行オンライン・システム障害について 〜 注48

公開: 2021年12月8日

更新: 2021年12月8日

注48. 教育水準の高い日本の義務教育

明治政府が教育令を出して、日本社会における義務教育の普及を進めようとしたとき、日本社会の初等・中等教育は、寺子屋と呼ばれた私塾に依存していた。寺子屋は、個人個人に見合った教育が実践できていたと言う意味では、質の高い教育環境であった。しかし、寺子屋へ子供達を通わせるために、その親が負担しなければならない教育費は、決して軽いものではなかった。そのため、貧しい人々が多かった他方では、寺子屋へ通える人々は限られていた。

江戸時代の教育制度では、武家の子女(特に男子)に対する教育は、藩校や私塾が教育機関として存在していた。しかし、特に私塾の場合、私塾に入塾するために必要な経済的負担は、非常に重く、多くの人々にとっては、負担できる範囲を超えていた。比較的、教育環境が整っていた備前や備中などの地方でも、私塾に入塾するために負担すべき経済的負担は過重で、入塾者者は豪商の子供など、限られた人々であった。とは言え、江戸の市中では、町民や農民の中にも、読み書きができる人々が数多くいた。

富国強兵を主たる目標とした明治政府は、江戸時代のように武士だけが「兵」の役割を担うのではなく、農民や商人も、国民皆兵政策によって、兵役に就くことを必要としていたため、全ての国民が、標準的な言葉を理解し、書くことができる能力を必要とした。このため、明治政府は、国民の義務として、一定水準を満たす知識を持つことを要求し、そのために小学校や中学校の教育課程を定めた。しかし、財政的に貧しかった明治政府は、国家の財政力だけで全国に小学校や中学校を設置することはできなかった。

このような理由から、明治時代を通して、日本の就学率は高まらなかった。親も、子供を学校に通学させるよりも、働かせるほうを選ぶ傾向が強かった。この傾向に変化が起き始めたのは、日露戦争の頃からであった。日露戦争で日本の技術力が向上し、経済力が高まったことが要因であったと考えられる。その後、日本国内の就学率は急速に高まり、ほとんどの子供が小学校へ通学し、文字の読み書きや、簡単な算数ができるようになっていった。日本語の場合、英語などと異なり、漢字を除けば、読み書きが容易なため、識字率を高くすることができたのである。

表音文字を基本とする英語圏などでは、文字を憶えても、文の読み書きはできない。言葉の要素である単語の綴り方を憶えなければ、文字を読み、書くことはできない。音として知っている言葉でも、綴り方を知らなければ、読むことも書くこともできない。日本語の場合、音として意味を知っている単語は、ひらがなやカタカナで表記すれば、簡単に書くことができ、ひらがなやカタカナ表記があれば、簡単に読むことができる。このような言語の特性から、小学校の短期間での教育で、ある程度の教育水準に到達させることができる。

しかし、日本語の場合、「やまと言葉」だけで伝えられる意味は限られている。話の内容が高度になると、漢語表現の単語や、カタカナ語の外来語を使わなければ、効率の良い会話は不可能になる。つまり、難しい内容の文章を、やまと言葉に直して表現すれば、高度なことを知らない人にも意味を伝えることはできるのが日本語である。そのやまと言葉での会話は、分かり易い半面、話が長くなる傾向がある。

参考になる読み物